今回は命に関わるかなりセンセーショナルな内容となりうるので、ご了承願いたい。












今日、また有名人が1人自ら命を絶った。

近日は有名人の「自殺」というものが増えてしまっている。

原因はSNSによる心的外傷だとかなんだとか。

死のニュースが目に飛び込むたびにunbelievableであり、ショッキングである。

少なくともまともな人間にはプラスの感情は生まれないものだ。


そしてネット上ではあーだこーだと議論が始まり、ギスギスしたタイムラインと不毛な会話が無限に続く。ネット上では結論など出るはずがないのに。

その光景もまたストレスである。



私は両親にずっと強く言われ続けてきたことがある。

「何があっても死を『良い』と思うな」と。


モータースポーツを趣味としている私は、かの「アイルトン・セナ」の最期を知っている。


彼は伝説的アスリートであり、ブラジルの国民的英雄、そして日本でもスターであった。


彼がイタリアから天に旅立ったことを知った時、英雄的人生に少しだが「美」を感じた。


だが、このエピソードを知ったと両親に言った時の反応は未だに忘れられない。


「死」は何があっても良いものではない。


それは周りの人間を悲しませるからだろうか


それとも自分自身のこれからの楽しみを消してしまうからだろうか



おそらくこの言葉は天寿を全うする寸前までわからないことなのだろうが、



この言葉の真意を理解するその時まで

私は強く生き続けなければならないと思った。