音楽との触れ合い

僕は音楽がとても好きだ。

なぜなら音楽は素直な表情を見せてくれるからである。

文学や絵画も多彩な姿を見せてくれるが、その姿には表れない「皮肉」が含まれていることもある。

おそらく僕は音楽の、時間とともに移り変わる表情の豊かさ、楽しさを信頼してるのだろう。


そして僕はプレイヤーでもあった。

腕を上げたくさんの音が出せるようになる喜び、磨く楽しさも感じることができた。

音を作る面白さ、組み立てていくのもプレイヤーの楽しみである。


「良い音」に対しては聴く時も演る時も悦びを覚えていた。


楽しいと思っているのだが、どこか寂しかったような気がする。何もわからなかったのだ。

移り変わる表情も広がる風景も全てがボヤけて見えているようで、感動しているようで頭の中に何も残せていなかった。


そんな虚を感じていたら、ある時ふと初めて言葉の楽しさを感じた。

それは知識でもない、哲学でもない、構成でもない。描かれた風景が残す物語の面白さだった。


そうすると次第に、悔しさと理想の狭間の通りで絶叫しながら歩く彼の姿も、喪失に指先がチリチリとし目の奥が熱くなった彼の姿も、己の偶像とさまざまな人の姿を知った彼女が微笑む姿も、とても鮮明に見えるようになっていった。


音楽が作り出す物語。曲の中に散りばめられたシーンと触れ合うのは、自身の言葉なんだと心の中で深く大きく頷いた。