大人嫌いな芸術

最近のポップスミュージックや文章、バズるツイート等は若者の切実な訴え(のようなもの)が多い。

ちょっと意見がわかりやすいそのような若者の色々な力は「期待できる」という楽観的な見方をされている。

ただしそれはその若者の全てに対して「期待できる」ごく一部の面を褒めてあげてるに過ぎない。

そいつがまるで有能であるかのような認識が生まれている。

僕はここで1つそんな若者達に警鐘を鳴らしたい。

そのバズる意見や歌に「大人は〜」というニュアンスがどこでも含まれていることだ。

「大人に問題がない」ということを言いたいのではない。

せっかく1つの言葉に丁寧に形作っていくのに、そんな力無く無意味で馬鹿馬鹿しい言葉を使う、そしてそれに共感して「良いもの」であると誤認していることが腹立たしいのだ。


この「大人は〜」には推進力も洞察力も何もない「停滞」しか含まれていない。作者と受け取る者それぞれを奮い立たせる生きた熱量がまるで存在しない。


こんなものの何が「メッセージ」だと言えるだろうか。

くだらない共感に意識を奪われてしまっているのだったら、それはただの洗脳だ。

もちろんそこには今の自分の姿なんて存在しない。

大人を批判する余裕があるんだったら(本当はそんな余裕なんてないはずだが)、若者自身が自分の本当のメッセージを形作る努力をしてみたらどうだろうか。

そこにはほぼ全ての若者が求めている今の自分が投影されるはずなのだ。