ハモネプを見て思った事
私はアカペラという音楽ジャンルを大学に入ってから始めた。
基本的には5〜7人までくらいの少人数で、楽器を使わずに演奏する音楽だ。
アカペラの主な演奏曲はもともとあるバンドスタイルの曲やさまざまな有名曲をアカペラ用にリアレンジされたものが多い。
先日放送された「ハモネプ」が特にアカペラでは有名であろう。
この中でその「アカペラアレンジ」についてとても考えることがあった。
音楽には、俗に言う「音楽理論」と呼ばれるものがある。
これは、「一般的にこうすると気持ちいい」とされる音の並びを具体的に表したものだ。
それを飛躍させると「コード理論」というものに行き着く。
コード理論は、A-majorやB-minorなどの和音をどう並べていくか...というものを表したものである。
近年はコードについての理解が以前よりも認知され(ピアノ弾いて快感を感じる人が口に出したからかしら)、YouTubeでもコードについての動画を出しているYouTuberの方も沢山いる。
もちろん、勉強すれば勉強するほど色々なパターンを覚えるので、曲をアレンジしたり作曲する際には困らなくなる。
そして、昨今これについての学問が学生アカペラでも技術的に高度なレベルに到達しているのだ。
難しいジャズ理論からの応用で13度の音や11度の音を積み重ねて...
詳しく勉強していない私は考えるだけで頭が破裂しそうになる。
だが、私はこの世界に何となく違和感を感じるのだ。
そもそもアカペラのアレンジは何の為にするのだろうか。
これは
「音楽ジャンルとして少しずつ一般的に浸透してきたアカペラが次のステージに飛躍するために必要なことは何なのだろうか。」
ということへの答えにもなると思う。
現在のアカペラに必要なのは「曲芸的」な技術ではなく、「芸術的」な美しさなのではないかと私は思う。
その音楽を聴いて感情がどう動かされるのか、言葉に表すまえに起こる心情の変化は生み出されるのか。
惹かれる魅力はあるのか。
これは人前で何かを見せる人間すべてに言えることであるが、
私たちは絵や本、音楽に触れる時、「難解さ」を求めていない。
難解さは存在しても良いが、その奥にある「美しさ」を求めているのだ。
だからこそ、芸術に携わる人間は色々な美しいものに触れて
「何が美しいか」「何が美しいと『思われる』か」など、
「美しいもの」を学ぶ必要があるのだ。
学んだ上でそれを体感して具体的に何が良いのかを説明できなければ、それは学べたとは言えない。
形に表さなければ表現の成長には行き着かない。
アカペラが次のステージに飛躍するために必要なものはなんだろうか?
それはアカペラに触れる者自身の感性の成長に他ならない。