努力を完成させる
人間誰しもたくさん努力をして生きている。
勉強、仕事、部活、サークルなどなど、色々な努力を経験してとりあえずの今がある。
とりあえずの今も何かしらの努力をしているはずだ。
ただ、努力するのは非常にしんどいものである。
元々できないところを自分自身で認め、できるように頑張る必要があるからだ。
どんな人間も少しはプライドがあるので、まずそこのハードルを越える必要がある。
これがスタート地点だ。
自分自身を認められたら割とがむしゃらになれる。それはできない自分が恥ずかしいと思うからだ。
ここから磨いてどうにか自己満足を得られるようにする。
そこまではよく見るタイプの努力の形態だ。
だが、「努力」は自分が認めるだけではダメで、他人から明確に答えを引き出せてようやくプラスの感情に変化するという性質を持つと私は思う。
「努力が報われた」瞬間とはいつなのだろうか?
そうあなたが思ったのはどんな時だったのだろうか?
他人が思う「努力」のハードルは非常に高い。
自分が思う「努力」など、本当は「努力」なんて言ってはいけないと思うほどだ。
何年かけて練習して磨いてきたものも、その輝きを放つための光源、スポットライトが当たらなければ人はその磨かれたものを「良い」と認めない。
相当辛抱強くなければならない。
だからこそ磨き続けられるものを見つけることが何よりも大事なのだ。
好きでいることと同時に、自分で磨き続けられると思うものを持つこと。
これが将来の選択になる。
と、私は進路に迷っている高校生の自分に説教したい。
お前は今何をしてるか考えろ、と言ってやりたい。