ひとりと戦う
人は必ず群居衝動を持つ。
1人が最も幸せな人間などいない。
なぜそう断言できるかというと、これが人間の本来の姿であり本能だからだ。(医学的根拠がないのは申し訳ない。)
そういうと必ず、
「ひとりの方が幸せだ」、
「ひとりだと周りに気を遣わないで済むから良い」
だとか言い始める者がいる。
それはまだ良い群れを作れていないだけで、この後の集団を作るか見つけなければならない。
日本人の多くは幼稚園や保育園、保育所などに行き、最後には小学校という場が必ず用意されている。
ここまでの過程で初めて家族以外の「集団」というものを経験するのだが、
もちろんこの窮屈の経験だけではそれぞれの集団の特徴に合わず、幸せを感じ取ることはできないこともある。
むしろここで見つけられたら御の字だ。
そして中学以降、成人するくらいになるまで色々な集団を経験する。
もちろん、それまでの間で肌に合う集団を見つけられないこともあるだろう。
そういう者の多くは「集団の幸せ」をまだ感じることができていないのである。
そしていずれ「一人の方が良い」という固定観念に縛られ始める。
ここで、人間が得られる最大の幸せを100までの数で表す。
もし、あなたが肌に合う集団が見つけられなかった場合、その集団に属し続けて得られる幸せはたった50である。
だが、ひとりで過ごす「しか」ない人が得られる最大の幸せは85でしかない。
どんなにひとりで自由に旅やゲーム、料理や遊びをしてもそれでは得られないものがある。
肌に合う集団を見つけた時、そこで生まれ得る爽やかで温か、そして朗らかな感情は人に生命力を与える。
これは「ひとり」が絶対に手に取ることができない15の幸せに値する。
今が50である人は、重い鎖を切ってまずはひとりという世界に足を踏み入れてみる。
そこには沢山の集団が漂っているだろう。
入ってみること、そして抜けることには何も罪はない。「社会的責任」を重く考えすぎると人は壊れてしまう。
いろんな集団を試し、味わってみる。そうしてゆっくりと肌に合う集団を選んでいけば良いのだ。
ひとり暮らし、そして長いステイホームを経験した
「自称・ひとり好き」が辿り着いた結論は己の殻を壊すものだった。